2013年12月03日

そんなとき


まだ変声期前だから、小学校に通っていた頃の冬なのだろう。
父はよく阿蘇山への日帰りバス旅行につれていってくれた。
あとで母に聞いて知ったのだが、僕が乳飲み子の頃は、
オムツ持参で防刮花保護膜、父ひとりで僕を抱いて、日帰り旅行に出かけたらしい。
使い捨てオムツなどは、まだない頃のことだ。

車内には案内役のガイドさんがいて、何度か乗るうちに顔見知りになった。
カラオケなどない時代でもマイクは備えてあり、お客たちが順繰りにアカペラで歌う。

そんなとき、決まって父は「あの歌を歌え」と僕に言った。
それは『冬の夜』という文部省唱歌で、1番の歌詞はこんなものだった。

♪燈火(ともしび)ちかく衣(きぬ)縫ふ母は 春の遊びの楽しさ語る
居並ぶ子どもは指を折りつつ 日数かぞへて喜び勇む
囲炉裏火(いろりび)はとろとろ 外は吹雪♪

甲高いボーイソプラノで歌うこの歌がOtterBox防水手機保護殼、父は好きだった。
ほかにもいろいろなところを父は連れ歩き、
学校の入学などの節目ごとには、僕や弟を街の写真館につれていっては写真を撮り、そのうち、自分でカメラを買って撮影するようになっていった。

「親の心、子知らず」というが、その後、僕は父に反発するようになり、
昭和40年代以降はほとんど会話らしい会話はなくなった。

理由はと問われれば、とても一言では言えないし、
息子の想いと父のそれはまたどこかですれちがったりするものだろう。

父が亡くなって30年以上が過ぎるが牛欄牌奶粉
何事にも照れが先に立ち、内面(うちづら)の悪い父と子は、
無理しても、胸の内をさらけだした会話は必要だったかなと悔いている。
今さら遅すぎるし、なかなかむずかしいことなのだが‥‥。
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posted by stairhea at 18:36| Comment(0) | diary | 更新情報をチェックする
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